住職だより

2021.01.10

新たな一年を迎えるにあたり ~同事のこころ~

新たな年を迎え、令和三年丑年となりました。

気持ちも新たにしていきたいものですが、コロナウィルスの猛威が止まるところを知らず、

私たちの生活も、まだまだ困ったことになっております。

ここ岩手県も、今では400名を超える感染者数となり、すぐそこにコロナウィルスの脅威が迫っているのがわかります。

そんな中、私たちはどのように過ごしていけば良いのでしょうか。

そんな時は、「同事」のこころを持って過ごしましょう。

「同事」とは、同じ事と書いて、事を同じくするという意味をいいます。

これは、高祖道元禅師の言葉で、相手と自分を同化して考える。

相手の思いを、自分の思いとして捉える教えです。

海は、大きな川でも小さな川でも、拒むこと無く受け入れます。

澄んだ水であっても、濁った水であっても、わけ隔てなく受け入れる海のような心をもって過ごしなさいという教えなのです。

いつ自分がコロナウィルスに感染するかもわからない今。

いつ家族が感染するかわからない今だからこそ、思いを同じにしていくことが大切だと思います。

感染された方はどんな気持ちなのでしょう?

それは、どんなに苦しいことか。どんなに辛いことか。

自分だったらと考えれば、自ずとわかることでしょう。

私たちは、東日本大震災のとき、悲しみを分かち合いました。苦しみも分かち合いました。

だからこそ、生きている喜びも分かち合い、新たな門出も喜びあうことができたのです。

あの時、私の目の前では、小学五年生の少年が、自分より小さい子供たちのために、遊ぶことを我慢していました。

自分だって遊びたいのに、必死に我慢して、小さな子供たちを優先して遊ばせていた彼は、

私と二人きりの時だけ、「いっしょに遊ぼう?」というのでした。

みんなと一緒に遊んでもいいんだよと言っても、少年は頑なに小さな子供を優先するのでした。

小さな子供の気持ちを考えると、遊ぶ順番を譲ってあげなくちゃと思ったといいます。

そこで、私と二人だけで遊ぼうとしますが、

少年の気持ちを知っている友達たちは、みんなで一緒に遊んでくれるのでした。

相手の気持ちを自分にひきあてて考えると、自ずとすべきことが見えてくることを、

あの時、一人の少年から教わりました。

私たちが今すべきこと。

私たちが発する言葉も、私たちがおこなう行動も、それは相手の気持ちを考えたものでなくてはなりません。

そうであればこそ、より良き人となれると道元禅師は、私たちに伝えています。

令和三年丑年の今年、「同事」の文字を心に留めて過ごしていけたらと思います。

永昌二十五世 義範 合掌

 

©︎ EISHOUJI

永昌寺の法話